ある一日

高山なおみ

カーテンを開けると、下の道が濡れていた。ゆうべは雨が降ったんだな、ちっとも気づかなかった。枕もとのラジオをつける。天気予報がはじまったところ。

今朝の陽の出は7時ちょうど。昇る瞬間は、雲に隠れていて見えなかったけれど、ベッドの中でしばらく眺めていたら、雲間からオレンジの光がもれてきた。海に向かって落ちる光、遠くの山並みが透けている。

きのうのコーヒーを温め直し、戻ってくる。オレンジはもう消え、かわりにクリーム色の帯がひとすじ下りていた。海に当たって、そこだけ白銀の水たまりができている。光の水たまりだ。

ずいぶん前に、シベリア鉄道に乗って旅をしたとき、陽の出前の草原から、いっせいに湯気が立ち上っているのを見た。走っても、走っても、どこまでも続く草原。草に紛れて咲いている、小さな王冠のような花。

太陽が顔を出すと、あたりもだんだん黄色じみてきた。草の穂が、いちめん銀色に光る。ところどころに小川もあった。ぬかるんだ地面に雨が降り、仕方なくできたような川だ。そうしてまた、草原。

陽がすっかり昇ると、目に入るすべての輪郭がくっきりしてきた。湯気はいつの間にか消え、緑がいきいきと輝き出す。小川の水面もチカチカ光る。それを私は、寝台車の白い布団にくるまって、延々と見ていた。この世界では、こんなに厳かで大がかりなことが、毎日、毎日、当たり前のように繰り返されていることを思った。

今朝のヨーグルトの果物は、リンゴ。いつものように、海を見ながら窓辺で食べた。フライパンで半分切りの食パンを焼き、クリームチーズとマーマレード。それから紅茶。

洗濯ものを干したら、残りの紅茶に温めた牛乳を加え、本格的にパソコンに向かう。今日は、書きかけの原稿を仕上げないと。

ヒッ、ヒッと、とぎれとぎれに鳴く小鳥の声がして、探しても、どこにもいない。そんなことが二度あった。

原稿は、どうやら書けたみたいだ。

3時ごろ、晴れ間が出てきたので、街へ下りることにした。東の空に浮かぶ白い月を見ながら、ゆらゆらと坂を下りる。今日の海は、いつもよりも膨らんで、水かさが多い気がする。

六甲道までてくてく歩き、図書館へ。絵本を1冊借りた。スーパーで軽く買い物、パン屋さんにも寄った。

帰りのバスで、後ろの席から小学生くらいの女の子の声が聞こえてきた。「ねえ、お母さん、『そっぽを向く』ってどういう意味なん?」「そうねえ。ぜんぜん違う方を向くってことかなあ」。すると、こんどは小さな妹が、「ハッピバッデチューユ」と声を上げた。母親が「しーっ!静かに!」と、注意すればするほどおもしろがって、あどけない声はどんどん大きくなる。
「ハッピ、バッデ、チューユー!」
「ハッピ、バッデ、チューユー!」

シルバーシートで目をつむっていたおばあさんが、こちらを見て笑った。前の方に立っているお母さんも、つり革越しに微笑んだ。今日がお誕生日の人がここにいたら、きっと、嬉しいだろうな。

バスを下り、坂を上っているとき、6時を知らせる教会の鐘が鳴った。

カラーンコローン、カラーンコローン……

鐘の音に背中を押されながら、もうひとがんばり。最後の坂を上りつめると、街はもう、灯りがともりはじめていた。

夜ごはんは、白菜と豚肉の重ね蒸し(いつぞやのを温め直し、椎茸と豆腐と白みそを加えた)、コロッケ(スーパーの)、ふわふわ納豆(卵の白身入り)、白菜の甘酢じょうゆ漬け、セイロで温めたご飯。

明日は晴れるみたいだから、シーツを洗濯しよう。

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