鹿

井戸川射子

晩年の母と私は、よく公園に鹿たちを見にいった。小鹿の若い竹のような脚、親の煤けた竹の脚、座る時その手足は下に折り込むので、胴は複雑な模様を持つ木の実のようだった。鹿たちは何か噛みすり潰す、古い角は色濃く、折れやすい部分から折れる、若くまだ尖らない角は産毛が、桃の皮を剥いて貼ったようなのが覆い、それで白い輪郭を持つ、まだ出たてで痒そうな角、スタンダードな形を知らないが、何かで変形しただろう角などがひしめいていた。本当に遠くからなら、どちらも影となるので、人と鹿の見分けもつかなくなった。

母は決して鹿たちには手を伸ばさなかった、触ってどうしようということもない、近くに行けば仲が深まったということもないのだろう、と私もそれに倣った。手が空なら鹿は人の方には来ず、観光客は振った意味もなくなった手を、戻して恥いるようにしていた。私たちは招くこともせず、ただ見入った。その分、互いの体を寄せ合った、母と鹿のにおいが混ざった。鹿たちは本当に何を考えているのか分からなかった、感情で染まる頬なども見たことはなかった。首を曲げ頭を胴に沈ませ、いい香りの土、しつこくにおう土にいた。やはり春が、鹿たちにとっては最高の季節だろうか、見ている感じではそうだったが。

母はただ見る、その極地に至るという様子で、お気に入りの鹿もおり、他とは淡白な付き合いで済ますが、その鹿だけは、大きな道路の横断もさりげなく補助した。鹿たちは気軽に、六車線ほどもある道路を渡った。どれも強い目的もなく、でも問答無用で渡ろうとした。新たな地を、と望むわけでもなさそうな姿で、行って帰ってきただけで、成功の旅だったのだろうか。人や車は鹿にもちろん気をつけるが、限度というものもあるだろう、と私は思いながら眺め、鹿と母の横についた。

母の目当ての、最高齢に近いだろうその鹿、角はもう脆く、粉でできているのではないかというほどの、毛も旅続きで乾いたような鹿。それが不意に横に倒れそうになり、母の丸みある、もう薄い眉が驚きで広がり、咄嗟に全身でその鹿を支えた。人相で何か分かるというように、鹿は母を見つめた。風が吹き過ぎていった、鹿は道路を渡っていった。自分と同じくらいの大きさのを受け止め、肩など怪我しなかったかと私は母を抱きしめた。押せば小虫の飛び出す、草のにおいのする、地面みたいだったと母は言った。母のにおいはもちろん、鹿の強いにおいと混ざった。

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