interview

Vol.06

原始林の苔に
肌をあてて見えた世界

「裏の山に行って、耳に手を当てて音を聞いてみて」。


突然の提案に、みんなで宿を飛び出してみる。そんなやりとりがこの場所では、ときどき起こる。そうやって、みずからの五感を通して、まだ見ぬ世界と出会うことになる。


京都や名古屋からおよそ2時間、奈良県山添村にあるホテル「ume, yamazoe」。この場所を作った梅守志歩さんと、電波がギリギリ届かない心地の良いラウンジで日が暮れるまで話した、新しい世界に触れることについて。


Shiho Umemori

1988年生まれ。2010年に大学を卒業後、大手IT広告会社の営業職を経て、家業の寿司製造メーカーである梅守本店へ戻る。2016年9月に山添村へ移住。寿司の営業の傍ら、旅行会社向け田舎体験ツアーの企画・販売を行う。2020年3月、山添村に宿泊施設「ume,」をオープン。

自然と人間の共生を
目の当たりにして

はじめはただ自然の中で生活がしたかったんです。この村に住み始めて、季節ごとに咲くいろんな花がきちんと庭に植えられている景色に感動しました。稲刈りの稲でしめ縄をつくったり、大根を保存するために漬物にしたり。昔の人たちは自然をうまく取り込んで生活していた。それで、私もこの場所で自然と人間の共存をまんなかに置いて生活がしたいと思って、ここで仕事を作ろうと、この地域で有名なお茶摘みの体験ツアーなどを始めました。それから、泊まれる場所もみずから作ろうと考えていたときに、村の方からご紹介を受けて、この場所を受け継げることになり、ume,ができました。


ume,が目指すのは、障がいや病気、性別や宗教、年齢にとらわれることなく、いろんな人が心穏やかに、優しくなれる場所。私には家族に障がいや病気のある人がいますが、そういう生き物としていびつや弱さがあると言われるような存在が自然の中にはいっぱいある。でも、たとえば、足の折れたセミが森の中にいたとして、それを自然の生き物たちはわざわざ取り立てて言わないじゃないですか。「まあ、そんなもんやろ」って言えるような感覚。それが当たり前の世界、文化をつくりたいと思いました。


優しくなるためには、その前に身の回りにある人やもの、さらにその背後にある時間とか思いみたいなものに気がつき、それを慮るという段階が必要です。私たちはその「気がつく」という過程を、さりげない形で支えることを続けています。それは料理やサウナみたいなホテルのサービスにおいてもそうだし、「雨が降って空気中の塵が流されて、今はとても空気が澄んでいる」ってさっきも話してましたけど、そういう会話を通じて、焦点のあて方を変えていく。その背中をそっと押しているような感覚です。


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優しさだけではない、
だからこそ。

ume,を始めた頃には、不自由さとかいびつさというよく見えないものを捉えて、そういう心の状態に焦点をあてて表現するサービスは少なかったように思います。でも、4年が経って、社会の動きも変わって、自分たちがやろうとしていることを大切に思ってくれているという人も増えてきて、そういった価値観も浸透してきたように感じています。


一方で、やっぱり世の中綺麗なものばかりじゃないということも肌で感じています。たとえば、この場所でホテルをやっていると、私たちに対して必ずしもポジティブじゃない意見も含めていろんな声があって、地域特有の距離の近さゆえ、優しさだけじゃないんだということを実感しました。人間にはやっぱり、いびつさがあるんだなあって。


あるとき全く生き物の気配がしないところに行きたくなって、アラスカに行きました。区切りのない大きな自然、大きな流れやリズムを目の前にすると、私たち人間ってほんとうに些細なことを気にかけているなということに気がついて。仕事と割り切って、そういういびつさを無視してこの場所を続けることもできるけれど、魂を込めてつくった場所だからこそ、私はそうではない形でここを持続させていきたいとも思うんです。


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苔の上に寝そべって
はじめて見えたもの

春日山原始林に自然のままの苔が綺麗に一面生えている場所があることを教えてもらって、そこで靴も手袋も脱いで、ふかふかの苔の上に肌をつけて、うつ伏せになってみたことがあるんです。地面からふと空を見上げてみると、自分と同じ目線には苔があって、その向こうには何百年もそこにある杉の木が生えている。苔の中にはきっとたくさんの菌がいて、その下の地層にはこれまで積み重ねてきた堆積がある。そういう長い時間の連なりの中にある今という時間がすごく面白いと感じたし、これこそが私がやりたいことだとも思いました。


私は植物が好きで、色々と勉強してきたからこそ、そんなふうに感じたのだと思うし、ただ何も知らずに寝そべっていただけなら「ふわふわで気持ちいい〜」で終わっていたかもしれません。「気がつく」というのは、そういうものごとの解像度を上げることで、私が昔からやりたいことは変わらずそこにあるんだなと思いました。人はつねに変化し続けるからこそ、そこにずっと一石を投じ続ける存在でありたい。


でも、何が見えるかはその人次第。私たちはその正解を教えることはできません。気づこうとする焦点の合わせ方や、よく見るという行為そのものを促しているだけ。結局は自分が不思議だなって思える心を流さずにいてほしいのであって、それってまさに「センス・オブ・ワンダー」なんだなとも思うんです。


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