interview

Vol.05

身体と言葉の見立て。
肌がどんどん広がっていく

兵庫県神戸市の北区淡河町を拠点に活動する『くさかんむり』の代表、

茅葺き職人の相良さん。


くさかんむりは、伝統的な茅葺きの修復から、現代的な茅葺きへの挑戦、より多くの方々に茅葺を知ってもらうためのワークショップやセミナーを開催しています。


そして、茅葺きを考えるときに切っても切れないのが地域の風景と、暮らす人、そして自然との関係性。


「自分の肌が、この場所に広がっていくみたいだ」と語る茅葺き職人の相良さんに、お話を伺いました。


Ikuya Sagara

1980年生まれ。株式会社くさかんむり代表取締役。茅葺き職人。兵庫県神戸市北区淡河町を拠点に、空と大地、都市と農村、日本と海外、昔と今、百姓と職人のあいだを草であそびながら、茅葺きを今にフィットさせる活動を展開中。

肌が、身体が広がっていく
感覚のはなし

―肌って、服を着ていても、何かを直接触っていなくても、常に外気と触れ合っているよねと編集部で話をしていました。相良さんは茅葺き職人だからこそ、言葉以外のものから受け取るメッセージがより多いのでは?と思って、話を聞きたいなと思いました。


まさに、そうですね。メッセージをたくさんもらって受け取っているように思います。「身体」って、ただの自分の肉体のことだけじゃないように思うんです。もっと広がった感覚で「自分の身体」を捉えることができるなぁと思っています。


例えば、田舎で暮らしていると、草刈りや庭の世話が日常の一部になるんです。「手入れ」ですね。手を入れていく。すごく行動がイメージしやすいよね。手を入れていく、触れていくってことだと思います。それを繰り返していくうちに、なんだか不思議な感覚が芽生えてきます。庭の草や地面が、自分の肌の延長みたいに感じられるんです。「地肌」って言葉、まさにそれを表している気がします。茅葺き屋根を葺いているときも、そうですね。里山の景色の一部になっているなぁと感じることがあります。地域自体が大きな身体と見立てると、自分はその肌の一部を大事に手入れしているような感覚です。


毎日、自分の肌を洗ったり触れたりしていると、小さな変化に気づくものです。「あれ、ここにほくろができたな」とか、「今日は肌がちょっと乾燥してるな」とか。それと同じように、庭や地域も日々観察していると、小さな変化に気づくようになります。「あ、あの草また伸びてきた」「この花、今年も咲いたな」って。そういう積み重ねで、自然と大切に思えるようになるんですよね。


この感覚って、自分の身体だけにとどまらないんです。庭や地域、見える山や草むらまで含めて「自分の一部」だと思えるようになる。不思議だけど、心地いい感覚。まるで自分の肌がどんどん広がっていくみたいな。

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触れてないのに、触れている。

―小学生のときに学校にあった雑木林が、物心ついたときになくなったと聞きました。そのとき、すごくショックだったんですよね。胸がぎゅっとなりました。


うんうん、まさにそうですよね。雑木林が肌の延長で、身体の一部になっていたってことだと思います。子どものときこそ、そういう感覚ってあるはずで。「肌感覚」って言葉は、触れていないのに感じるってことで、うまく表現された言葉だなぁって思います。実際にその肌の拡張が始まる一歩が、近くの植物に手に触れることとか、存在そのものに意識を向けるようなことだと思います。意識を向けて、手入れをすればするほど、自分の愛おしいものが広がっていく。地続きな肌という感覚でしょうか。田舎も都市もそんなに関係ないと思います。


―元々、茅葺きを葺くのも職人の仕事ではなく、村の人々が集まって行う行事のようなものだと聞きました。


元々村の人全員で行っていました。その家の手入れも代々してきているんですよね。だからこそか、自分たちのことを「わしら」っていうんよね。あれがすっごくいいなと思っています。「わし」って一人称じゃなくてね、「わしらは、ね」っていつも教えてくれる。全体を含んで自分たちのことを話すんですよ。その「ら」の中には、自分以外の先祖や人や生き物や風土のことも入っていて。それらのものたちへ尊敬や愛の気持ちを表しているように思います。昔の世代のひとは、毎日手入れの繰り返し。だからこその言葉なのかなぁ。


ちなみに、茅葺きの表面のことを肌と言って、分厚さのことを肉って呼ぶんですよ。だから、「肌、整えて〜」とか「肌理をちゃんと見ろよ〜」とか弟子に伝えています。道具の貸し借りもしないようにしています。道具も身体の延長のもので、身体の一部ですからね。

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―茅葺き屋根、そのもの自体も身体に見立てているんですね。


屋根をまっすぐに、とか言われても分からない部分を、自分の身体の一部に見立てて伝えることで、分かりやすくなるし、腑に落ちやすくなるんですよね。先人の知恵というか言葉の見立ては面白いなぁと思います。山肌とか地肌とかもまさにそうですよね。


屋根の上で、弟子たちに声をかけるときは、触るようなイメージで声をかけるんです。実際に自分の持ち場と相手の持ち場には距離があるから、とんとんと触れて声はかけることは出来ません。だからというか、口から手がにょーんと生えるようなイメージで、名前を呼ぶ。その人の肩を触るようなイメージ。距離があっても、伝わるんですよね。これもまた不思議な感覚です。

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interview Vol.05 Ikuya Sagara