子どもの頃から、祖母に会うことは、わたしにとって桃源郷を訪れるようなものだった。祖母の家はいつも、整頓されたひきだしをひとたび開ければ、いつかの思い出ばかりだった。自身の父や母から受け継いだ着物のハギレ。子どもの頃のわたしと妹が書いた手紙。誰かの気配の残るものを、簡単に捨てることができない。そんな祖母から聞いた話。
「23歳で病疫した息子は、自転車のツーリングを愛していた。
自分専用の自転車も、部品から手作りしていたの。
彼の亡くなったあと、彼の思い出として、自転車のアクセサリーを集めるようになった。
由芽ちゃんも、自転車の置物をプレゼントしてくれたことがあったよね。
ひとつはプラチナ、もうひとつは金でできていて、とっても高かった。でも、これは運命だと思って、供養だと思って、思い切って買ったの。
苦しいことがあったとき、何かに依存してはいけない。けれど、抜け穴をつくったほうがいい。
ジャケットの襟につけたり、鞄の中に忍ばせることもあります。
懸命に生きようとした息子の魂と一緒にいられる気がするからなの」
以前のように出かけることは難しくなった祖母だけれど、「出会ったことのある美しい場所を覚えていれば、心の中で何度も会いに行くことができる」と笑う。大切なものを忘れないでいられる“よすが”を、肌身離さずそばに置いているから、時間や場所をこえて、誰のところにでも、どこへでも、祖母は自分で自分を連れだすことができる。その姿を見てきたわたしも、祖母との思い出を身につけながら、これからも生きていくのだろうと思っている。