「メンソレータム」の歴史

「メンソレータム」の歴史

1894年

「メンソレータム」の製造販売開始:「メンソレータム」誕生は、日本の〇〇がヒントになったのだ

「メンソレータム」は、1894年のアメリカで、アルバート・ハイド氏によって「やさしさ、ぬくもり、頼もしさ」という思いのもと、開発されました。

ハイド氏のひらめきを刺激したのは「ベスト・ポケット・コフ・スペシフィック」というノド薬。その主成分であるメンソールは、当時のアメリカでは主に日本から輸入していたのです。

メンソールは、日本では古くから火傷や炎症などを和らげる薬として用いられていました。ハイド氏はそこに目をつけ、「メンソールに痛みを和らげる効果があるのなら、緩和剤としての治癒効果があるのでは?」と考えて開発に着手。こうして、世界にやさしさを運ぶ「メンソレータム」が誕生したのです。

1894年は、伊藤博文が内閣総理大臣を務めていた時代。120年も前に誕生した「メンソレータム」は、ハイド氏の奉仕の精神と、「やさしさ、ぬくもり、頼もしさ」という思いが相まってできた製品だからこそ、広く愛され続けているのかもしれません。

この当時から現在に引き継がれているブランドカラーのグリーンが使われていました。

1920年

日本での輸入・販売開始:お母さんのおばあちゃんもまだ生まれていないよ

日本で普通選挙制度や言論の自由に対しての運動「大正デモクラシー」が行われていた時代。アメリカで爆発的な人気を博していた「メンソレータム」が、ついに日本でも販売されることになりました。

アメリカで、すでに多くの人に愛用されていた「メンソレータム」。さまざまな肌のトラブルに効くということが評判となり、この頃から朝鮮半島や満州、台湾にも代理店が置かれるほど急速に、世界に広まっていくのです。

日本をイメージした販促物。蛇の目傘に記された英文は、日本人には違和感がありますね。

1951年

トレードマークの「リトルナース」(小さな看護婦さん)が使われるようになる:「リトルナース」は、家族のやさしさの象徴なんだよ

第一回紅白歌合戦が行われた年から、「メンソレータム」のシンボルキャラクター「リトルナース」が使われるようになりました。今では、誰もが目にしたことのあるマスコットキャラクターとして、すっかり定着しました。「小さな看護婦さん」、「ナースちゃん」と呼ばれ、親しまれる存在です。

2014年には、無料通話アプリ「LINE」の公式スタンプとしても登場しました。奉仕の精神を体現した「リトルナース」は、今日もどこかで愛し、愛されているのです。

正式に商品パッケージに採用される以前(1920 年代)から、販促物にはたびたびリトルナースが登場していました。
現在のリトルナースとは、向きが逆になっています。

1975年~2015年

メンソレータム社からの申し出により商標専用使用権を取得:お母さんのおばあちゃんもホントに使ってたね

家庭用ビデオレコーダーが日本で初めて発売された年、ロート製薬が「メンソレータム」を製造・販売することになりました。

それに伴い、1975年当時は、「メンソレータム」、「メンソレータム薬用リップスティック」など数品目しかなかった製品も拡大していきます。「メンソレータム」開発の「やさしさ、ぬくもり、頼もしさ」という思いを受け継ぎながら開発が続けられ、今やブランド数39、製品数は216品目以上。

こうして、お母さんのおばあちゃんのずっと前から愛されてきた「メンソレータム」は、開発者のハイド氏の「やさしさ、ぬくもり、頼もしさ」を大切にしながら、スキンケアのトータルブランドとして育ち続けています。

14年10月~15年9月メンソレータム商品出荷分

Limited design:限定容器、限定外箱

ロート製薬とメンソレータムが出会ってから40周年を迎えた2015年。これを記念して、愛らしいメンソレータムマークがカラーになった限定ゴールド缶を発売しました。
レトロ感ただようデザインは、ずっと以前にアメリカで人気だったパッケージの復刻版です。