関西大学特別任命教授 河田 惠昭先生 関西国際大学 河田 慈人先生 × ロート製薬会長 山田 邦雄

防災啓発トーク

これからの防災には、生き延びる力が欠かせない。
心身の健康、人とのつながり、知恵を身につけ、日常の中で防災を!

全国各地で大きな震災が続いている日本列島。
今後もいつどこで震災が起きるかわからない状況だからこそ、日常的に防災について考えることが大切。
そこで今回は、ロート製薬 代表取締役会長 山田邦雄と、防災研究の第一人者であり関西大学特別任命教授の河田惠昭先生、そのご子息で防災教育を研究する河田慈人先生と「防災啓発トーク」を実施。ロート製薬の防災における歩みや取り組み、私たちにできる身近な防災アクションなどについて、たっぷり語っていただきました。

PROFILE

関西大学特別任命教授 河田 惠昭先生

河田 惠昭先生

関西大学特別任命教授・社会安全研究センター長。京都大学名誉教授。阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター長(兼務)。

関西国際大学 河田 慈人先生

河田 慈人先生

関西国際大学 高等教育研究開発センター 講師。人と防災未来センターリサーチフェロー。

阪神・淡路大震災の
“心残り”と“反省”が、
その後の防災活動につながった

― 阪神・淡路大震災から、30年となります。山田会長、河田惠昭先生(以下、惠昭先生)は、震災発生時、どのように過ごされていたのでしょうか。まずは震災の“その時”について振り返ってお聞かせください。

山田 私は自宅でぐっすりと寝ていました。神戸でこれほど大きな地震があるとは夢にも思わず、揺れた瞬間は寝ぼけながら「車かなにかが突っ込んだんだろうか?」「爆発が起こったんかな?」と考えたことを覚えています。私が暮らす家は山の上のほうにあったため、幸い、それほど大きな被害はなかったのですが、テレビをつけたら大騒ぎになっていて、すぐに「ただごとではない」ということがわかりました。次々と被害の状況が入ってきて、あちこちで道が壊れたり火事が起きたりしていることが明らかになって……。そこで事態を把握し、「これは大変や」ということであたふたしているうちに1日が終わってしまったような状況でした。
自宅やその周辺の被害が比較的少なかったこと、会社が大阪にあり大きな影響を受けなかったこと、被害の範囲が比較的局地的だったことなどもあって、当時は、ただ驚くばかりで、あまり主体的に動けなかったように思います。「なにかできることがあったのではないか」「もっと積極的に関われたのではないか」。そんな心残りが、あれからずっと、なんとなく心の中に残っていました。そして、その心残りが、その後のロート製薬の被災者支援活動につながっていったのですよね。

惠昭先生 私は防災を専門に研究をしていますので、地震が起きてすぐに、「どこかで直下型地震が起きた!」ということがわかりました。その後TV局から「10時のニュースに出てほしい」と電話がかかってきて、すぐに向かいました。それからTV局のクルーと一緒に被災地に入ったのですが、行ってすぐに「すごい状況になっている」ということがわかりました。歩けば歩くほど、見れば見るほどに、いかに被害が大きいかということがわかって、もう、涙が出てきちゃってね。僕は都市災害の研究をやっていたんだけど、「全然、被害を減らすことができなかった」「防災研究はもっと実践的でなければならなかった」と。そう思い、心から反省しました。立場や状況は違いますが、私も山田会長と同じように、あのときの経験が、その後の活動を変えたと思っています。

東日本大震災で親を亡くした
子どもを支援する
「みちのく未来基金」とは

― なるほど。おふたりともそれぞれの立場で、深くお感じになることがあったのですね。では、その思いを受けて、具体的にどのような活動をされてきたのでしょうか? まずはロート製薬の、被災者支援の取り組みについてお聞かせください。

山田 震災のあと、電気が来て、ガスが来てと徐々にライフラインが復旧し、再び阪急電車が走るようになって、それからしばらく災害のことは考えず日常の企業活動に没頭していました。そんなとき、東日本大震災が発生して、あのときの“心残り”を思い出したのです。「こりゃ、えらいこっちゃ!」「今こそ、なにかしなければ!」と思い、すぐに被災地を支援する社員を募集しました。あまり多くても動きにくいだろうと思い、ひとまず6人の社員を選定し、震災復興の支援室を立ち上げました。

その6名が、現地に行って、災害ボランティアなどの活動をしている中で、「大学や専門学校に進学することを諦めてしまう高校生がかなりの数いる」ということを見知ったようなんですね。高校生ぐらいまではいろいろな支援があるけれど、その先は大人なんだからなんとかしなさいということで急に支援がなくなってしまう。親御さんが亡くなって、本当は大学や専門学校に進学したいけれど就職するしかない若者がたくさんいるという話を聞いたとのことでした。私自身も現地に入ってボランティア活動を行い、実際にそのような話を聞いて、「なんとかしたい」と強く感じました。親御さんが亡くなるということ自体がとても辛く苦しいことなのに、さらに将来を諦めなければいけないなんて…。どうにかして未来を切り拓くお手伝いをしたいと思いました。

そのような経緯で立ち上げたのが、東日本大震災で両親またはどちらかの親を亡くした子どもたちの、高校卒業後の進学のための資金を援助する「みちのく未来基金」です。震災当時お腹の中にいた子が卒業するその日まで活動を継続すると約束し、大学・短大・専門学校の入学金や授業料の全額を返済不要で給付しています。

山田 「みちのく未来基金」の取り組みは、カルビーさん、カゴメさんとともに始めました。25年に及ぶ支援になるため、子どもたちに基金の安定を担保するには、当社1社では心許ないなと思って親しくしていた経営者の方にお声をお掛けしたところ、この2社さんが賛同してくだったのです。お声掛けをした際に、カルビーさん、カゴメさんともにふたつ返事で「ぜひやろう」と言ってくださって、とても嬉しく、心強く感じたことを覚えています。3社いれば、3本の矢で継続した支援ができそうだということで、2011年10月に設立に至りました。現在までに1100人を超える子どもたちの支援が実現し、今も支援は継続中です。

河田慈人先生(以下、慈人先生) 本当に素晴らしい取り組みですよね。18歳までは行政の手厚いサポートを受けられるけれども、18歳になった途端に支援が途切れてしまう…。その部分を、民間の力で、しかも複数の企業が協力して長期的に支援するというところに価値があると思います。なにより、そういう企業があるということ自体が、大人が思う以上に、子どもにとって希望になるんじゃないかなと思いますね。

震災の国際学術研究や
防災教育が進行中。
親子で災害被害を
減らすための活動を行う

― 惠昭先生はいかがでしょう? 阪神・淡路大震災後、どのような活動をしていらっしゃるのですか?

惠昭先生 阪神・淡路大震災の前年に、所属する京都大学防災研究所にて巨大災害研究センターというものを設立しておりまして、ここを中心に震災の研究や復興復旧に関わる活動を行ってきました。また2002年、日本政府と兵庫県が協力して、阪神・淡路大震災の教訓を後世に伝える「人と防災未来センター」を設立し、そのセンター長を務めています。ほかに、大学の教員だけでなく民間企業や行政など多くの人々を巻き込み震災について考え教訓や提言を残す「メモリアルコンファレンスin神戸」(2024年現在も「災害メモリアルKOBE」として継続中)という取り組みも行っています。こうしたさまざまな取り組みや流れがあって、震災の情報を世界に発信することができるようになり、国内だけでなく海外の研究機関や組織を巻き込んだ“震災の国際学術研究”が始まったんですね。阪神・淡路大震災のときに感じた「被害を減らすための、実践的な研究をしたい」という思いを胸に、現在も現役でさまざまなアクションをしています。

― 慈人先生は、防災教育の研究者であり、惠昭先生の息子さんでもいらっしゃいます。阪神・淡路大震災時にどのような経験をされて、現在、どういった活動をされているのでしょうか?

慈人先生 震災のときは小学1年生だったためあまり明確な記憶がないのですが、父の仕事についてはおぼろげながらも理解しており、「国内だけでなく海外も含め、よく調査に行っているな」という印象を持っていました。こうしたぼんやりした印象が明確になったのは、大人になってからですね。知り合った方から「震災で家が壊れた」「あのとき家族を亡くした」という話を聞くことがあり、改めて、被害の大きさ・根深さや、「震災というものは人の一生に関わるものなんだ」ということを実感するようになりました。そんな中、大学で卒業論文を書くことになり、父が防災研究の研究者、母が幼稚園を運営する教育者ということもあって、これからの社会に重要な、子どもの命を守ることができる防災教育をテーマにすることに決めました。現在は、関西国際大学の講師、人と防災未来センターのリサーチフェローとして活動しています。父と同じく、少しでも災害の被害を減らしたい、これからの社会に貢献したいという思いで、研究を続けているところです。

これからの防災に
欠かせないのが、
“生き延びる力”をつけること

― ここからは、防災の「これから」についてお聞かせください。課題だと感じていること、課題解決のために意識していることなどございますか?

山田 私は防災の専門家ではないのであまり詳しいことはわからないのですが、やっぱり、都市部に人口が集中しすぎているというのは大きなリスクの1つだと思いますね。神戸はそれほど人口密度が高いわけではないのですが、それでも震災時、道路が寸断されて火災の消火に向かえない、人命救助ができない、電車が止まって移動できないということが多発しました。これがもっと人口の多い都市で、広域で起きたらと思うと、防災が進んできた現在でもなかなか厳しいのではないかと感じます。そういうときに助けになるのが、体力と健康だと思うんです。怪我さえしていなければ、歩くことができます。元気な人は、歩いて逃げることができるのです。私たちロート製薬は、再生医療にも取り組んでいます。そういう医療や薬の力、サイエンスの力も大切だと思うのですが、なにかが起きた瞬間は、やっぱり心身の健康が一番重要なのではないかと思いますね。歩行力、免疫力など含め、“生き延びる力”をつけることが大切なんじゃないでしょうか。

惠昭先生 同感です。日本は、とにかく狭いんですよ。狭いところにたくさん人が住んでいて、しかも高齢化が進んでいます。高齢者が、災害による直接的な被害ではなく被災後の生活の変化で亡くなることも少なくありません。こういう局面で生き延びるには、自力で歩く力や体力が、やっぱり必要だと思うんですよね。健康寿命を延ばすということも、防災においてとても重要なことだと思います。

山田 あとは、人と人とのつながり、これも大切ですよね。日本人のボランティア精神や助け合いの心って、本当に、素晴らしいなと思っていて。本来は、周囲と協調する力や行動を抑制する力がとても高い民族だと思うんですよね。ところが、都市化、核家族化、個別最適化の影響で、最近は地域のコミュニティなどの存在感が薄れているように思います。これは大変にもったいないこと。子どものうちから、教育の中で、力を合わせてなにかを成し遂げる経験ですとか、ボランティア経験などを、もっともっと積み重ねていけるといいのだろうなと思います。

惠昭先生 そうですね。防災って、特別なことじゃなく、“日常”なんですよね。もちろん、備蓄をしたり、家具が倒れないように固定をして備えたりすることも大切なのですが、そうしたことも含め、日々の生活の中で、当たり前のことを積み重ねていくということが大事なのだと思うんです。

私の場合は、例えば、「新幹線や特急で移動するときは必ず飲み物と駅弁を買ってから乗る」ですとか、「電子錠のコインロッカーに荷物を預けない」ですとか、「カバンには抗菌目薬を入れておく」などのちょっとしたルールを決めて、日々、そのルールを実践するようにしています。飲み物やお弁当があれば万が一新幹線が止まってしまっても多少は安心ですし、荷物を預けたロッカーが停電で開かなくても困らない。また、抗菌目薬は目薬としてだけでなく、怪我をしたときの簡易的な消毒にも使えますね。日々の体力づくり、人との関係づくり、教育、リスクを避ける行動の実践、備蓄など、すべてを習慣化してコツコツと。当たり前のこととして意識せずに行えるようになることが、最大の防災になるのではないかと思います。

5年常温保存できる
循環備蓄食品
「ハートフードおにぎり」への思い

― 先ほど、「防災には、体力や健康、生き延びる力が必要だ」というお話がありました。ロート製薬が2025年春に発売を開始する、循環備蓄食品「ハートフードおにぎり」も、健康や生き延びる力を支える商品と言えるのではないかと思います。商品への思いについてお聞かせください。

山田 当社はこれまで医薬品や内服、スキンケア商品を通して人々の健やかな暮らしをサポートしてまいりました。健康にしても美にしても、健やかさを保つという意味では、もとはやっぱり人間、食べるものが大切。医食同源という言葉にもあるように、食べ物は、人の身体や健康を作ります。食の中で、保存技術も大事なことの1つという中で、長期保存の新しい技術に出会い、長期間常温で保存できるおにぎりの発売を決めました。「備蓄食は美味しくなさそう」というイメージを持つ方も多いと思うのですが、「ハートフード」のおにぎりは、あけてすぐ食べられて、ふつうにおいしい。そして調理不要、食器不要で手軽に食べられます。もしもの備蓄食という役割だけでなく、日常の中でもときどき定期的に召し上がっていただいて、消費しながら買い足していただくような、いわゆるローリングストック的な循環食を目指して企画開発しました。

慈人先生 これをご紹介いただいたときに、例えば大学生が一人暮らしを始めるとき自宅に置いておくととてもいいなと思いました。大学時代の4年間ストックできるわけですし、災害時に限らず、体調の悪いときなどにもサッと食べることができます。通学用のカバンに入れておけば、おやつにも非常食にもなる。ひとつのお守りとして活用できますよね。それから、保育園などに保管しておくのもよさそうです。保育園や子どものいるご家庭でも、備蓄食として乾パンやサバ缶が保管されていることが多いのですが、食べ慣れていないため、実際に東日本大震災など過去の災害で食べてくれない子もいたようです。おにぎりならみんな食べ慣れていて、食物アレルギー対応で安心できますし、子どもとの相性がとてもいいなと思いました。

惠昭先生 ときどき学校の給食なんかで出してもらって普段から食べていただけるとさらにいいですね。防災の専門家としても評価できる、よい商品だと思います。

― 最後に、読者に向けてなにかメッセージがあればお聞かせください。

惠昭先生 自分や家族の命を守るのは自分です。人任せにせず、自分ごととしてとらえて、今日からアクションを始めていただきたい。デジタルデバイスから得られる情報ばかりに頼らず、体力と習慣と知恵をつけていただきたいなと思っています。

山田 今後も私たちロート製薬は、人々の健やかな暮らしを守るという観点で、医薬品、食などさまざまな方面から防災を考えていきたいと思っています。もう“心残り”がないように…。企業として、できることを着実にしていく考えです。